東北STANDARD

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秋田県大館市

曲げわっぱ

大館市でつくられる「曲げわっぱ」は、秋田杉を素材にした曲げ物で、
「わっぱ」の語源は、「輪」を意味するアイヌ語を起源としています。
江戸時代に大館城主佐竹公が領内の秋田杉を利用し、下級武士の副業として曲げわっぱづくりを奨励し発展しました。
神棚に備える三宝やお弁当箱など、様々なうつわが生産されています。

天然の秋田杉

東北の寒い冬に絶えて少しずつ育つ天然の秋田杉は、自然の中で育つため成長が遅く、樹齢は150年以上。細かく揃った木目と香りの良さが評価されている、質の高い貴重な資源です。

秋田県大館市は秋田県北地域の中心地にあります。美しく香りの良い白木にこだわった曲げわっぱづくりを行なう「柴田慶信商店」の柴田昌正さんを訪ね、お話を伺いました。

― 昌正さんはこのお仕事をいつからされているのですか?

幼い頃から工場が遊び場でした。その時から俺がこの仕事を継ぐと言っていましたね。大学の卒業をしてすぐに曲げわっぱの仕事をしたいと父に話すと、世の中を知らない中でこの仕事をされても、それは困ると。それで一旦新潟で働いた後に、24歳でこの仕事について、今は40歳です。

― 初代となる柴田慶信さんはどんな方ですか?

父は初代でありながら誰の弟子にもならずに、独学で曲げわっぱの仕事をしていました。買ってきた曲げ物を分解してつくり方を調べたり。何かを教えてくれるというスタイルではなく、父からは学ぶ姿勢というものを学びましたね。

― 世界中の曲げ物のコレクションもされていますね

父は世界中を歩いて、各地の曲げ物を集めてきました。それからインスピレーションを得て、父なりの曲げ物をつくり、コレクションを譲りうけた私は、今の感性でつくる。時代感の違いで、二通りのものづくりができているように思います。

― 伝統工芸の世界に入って気づいたことを教えてください

この仕事に関わる時にはすでに伝統工芸は衰退状態にありました。結婚して子供を養っていける仕事なのか不安があって、そういう状況を変えたいと思っていたんです。父も楽しそうに仕事をしていましたし、伝統工芸の仕事でも安心して仕事ができることを目指したいなと。どの伝統工芸も戦いに挑んでいるところがあると思います。ニーズと時代の流れの中で、様々に変わるものもでてきて、それに押されてなくなっていったと思うんです。曲げわっぱも木製品でありながらプラスチックと同じような効能のものをつくってしまうと、木じゃなくてもいいことになってしまいます。プラスチック製品が秋田杉にかなわない理由があるので、それが何かを見極めてものづくりをしていけば、必ず生き残れると思っています。

― 曲げわっぱのお弁当箱を使ってみて、どうですか?

私の子どもは学校に曲げわっぱのお弁当箱を持っていっています。子どもだからキャラクターのかかれたプラスチックのお弁当箱も時々使いたいし、曲げわっぱのお弁当箱だと少し恥ずかしさもある。でもやっぱり曲げわっぱのお弁当の時の方がおいしいと、お弁当を全部残さずに食べてくるんです。それを見て、曲げわっぱってやっぱりいんだね〜と、かみさんと話をしています。

― 素材に使われている秋田杉にはどんな特徴がありますか?

秋田の寒い冬にじっくり絶えながら、天然の栄養素のみで育った天然の秋田杉は、成長が遅く目が細かくて丈夫です。直径が小さな製品をつくろうと思うと、目が細かくないと木が綺麗に曲がらないんです。つくる側もつくりやすくて出来がいいんです。いつか必ず天然の秋田杉ではなく、人工林で製品をつくらなければいけない時代がやってきます。ただ材料があるうちは天然の秋田杉にこだわってつくりたいと思っています。お客様には最高のものを届けたいし、良いものが提供できる状態で良くないものを提供する必要はないですし。与えられた材料を大事に感謝して使い切っていくようにしなければいけないなと。

― これから提案したいことはありますか?

豊かさの最上級が何かといったら、日本の文化が一番のステータスだと思うんです。ブランド品のバッグをもつよりも、曲げわっぱを持つ方がかっこいいんじゃないかなと思う、今日この頃です。

柴田昌正(しばたよしまさ)

伝統工芸士、柴田慶信商店代表取締役社長。1973年秋田県大館市生まれ。大学卒業後、新潟にて会社勤務を経て、1998年柴田慶信商店入社。父である柴田慶信氏に弟子入り。2009年日本橋三越店に常設店オープン。2010年浅草店オープン。2012年伝統工芸士認定。
柴田慶信商店
http://www.magewappa.com

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