東北STANDARD

カネイリミュージアムショップ

協賛: キヤノンマーケティングジャパン株式会社

福島県西会津町

会津張り子

「会津張り子」の起こりは400年程前。豊臣秀吉に仕えた蒲生氏郷(がもううじさと)公が、会津の文化、経済、産業の礎を築く為、
京都から人形師を招き下級武士達に技術を習得させ、生活の糧としたことにはじまります。
この地方の張り子の多くは赤色を基調に彩色され、
開運や魔除け、五穀豊穣や商売繁盛を祈願されてつくられた、縁起の良い置物です。

絵付け前の白い赤べこ

「べこ」とは東北地方の方言で「牛」という意味。木型をもとに紙で張り子をつくり、にかわと胡粉に浸して下地を整えます。工房の天井に吊るした俵に、サクサク刺して乾燥させます。

福島県耶麻郡西会津町にある「野沢民芸」では、赤べこ、お面、起き上がり張り子などを製作しています。イメージを基にした自由な形の原型をつくる豊琳さんと、新しい絵付け表現に挑戦する早川美奈子さん。二代に渡って張り子づくりを行っているお二人にお話を伺いました。

ー 張り子づくりを、どのように学ばれたのですか?

私は張り子の原型となる木型をつくっていますが、まったくの独学なんです。以前にはろくろを引いてこけしをつくっていた時期もあります。木を削るという意味合いにおいては同じですが、こけしの形は幾何学なのである程度形が決まっていて、面白みがなくなってしまったんですね。伝統的なものの中でも自由な発想で彫刻をすることに興味があったので、張り子づくりをはじめました。

ー 形をつくる際には、どんなことが重要になりますか?

形をつくる前の、イメージが一番大事です。一つの角材から形をとりだす分には一日程度で完成します。余分なところを省きながら全体のフォルムをつくっていきます。制作がはじまれば早いけれど、頭の中で考える時間は二ヶ月位はかかりますね。

ー 沢山の工程を通過して製品が完成しますが、
最初にイメージされた状態は、最後まで保たれていますか?

デザインしたものから型を起こし、造形をし、絵付けをしますね。機械でつくっているわけではないので、人が変われば筆さばきも、持ち味も違います。時々イメージがぐっと遠のいてしまうことがあります。すぐ目の前にあるような気がして、すごく遠い。そこが楽しくもあり、難しい。一番苦しむ部分ですね。皆のイメージが統一されていることが必要なので、細かくイメージを伝えながら話し合って進めています。

ー この工房で一番古い赤べこはどんなものですか?

赤べこには新しいも古いもありません。私たちは数百年前からのイメージを受け継いで、一貫して同じ形のものを50年間つくっています。それが私たちの伝統です。

ー ところで、赤べこは雄牛ですか?それとも雌牛ですか?

それは…わかりません。赤べこのお話の元になった、会津のお殿様の仕事を助けた牛は、赤い色ではなく茶色の毛だったそうですよ。それを昔の人は赤いベンガラで塗った。赤べこは赤くなかったということですね。写真から飛びでたようなものはおもしろくない。私のつくる赤べこも牛には似つかせないかな。だけど、動物のもっている特徴をつかむ為には、動きや可愛い仕草を観察しないとだめですね。たまに退屈するとこうやって揺らして遊ぶんです。かわいいですね。

ー 二代に渡って会津張り子づくりに取り組まれていますが、娘さんの早川さんのこれまでをどう感じていますか?

人には自分の生き様に疲れがくる時があると思うんです。父親を見ながら同じ考え方できた時に、父親を超えられない時がある。壁にぶつかりながら父親の私の後ろ姿をみて、彼女はここまできたと思います。ものづくりには自分で超えないといけない壁があってそれは教えられない部分ですね。彼女が色々と試行錯誤をする中で、最近は色々な所からお声掛け頂いて、そういったところが彼女の自信になっていると思います。

ー 東北地方の文化について、どのように思われますか?

東北の文化には素晴らしいものがあります。浮世絵が海外の画家の方に影響を及ぼしたように、海外の方にも私たちの文化を見てもらいたいと思っています。私は北欧の音楽や造形が好きなのですが、そこには無駄を省きながらも誇張されたものがあって、何より自由を感じるんです。私も海外の文化を吸収しながら、いいものに触れて影響されて、より高いものを目指したいと思っています。研究したいことはまだまだありますね。

— 幼い頃から張り子づくりに接していて感じることは?

父の仕事が少し変わっているとはなんとなく思っていましたが、これまでに特別視をしたことはなかったんです。小さい頃に住んでいたのが、この工房の後ろ側だったんです。当たり前のように毎日この風景を見ていて、父がべこの絵をかいてくれたり、「こんなものがあれば面白いね」と話をしたりしていましたね。

— 仕事として張り子づくりに関わったのはいつですか?

この仕事を始めてからは30年たちます。美術の経験もないのに、絵描きの担当ではいったんですね。その当時いらっしゃった先輩方に、色や筆に慣れるという単純な部分から学びました。失敗したことも多いし、失敗の度合いがすごいと商品にならなかったものがたくさんありますね。

ー 張り子の絵付けをする時に、大事なことは?

線の太さや細さの調整だけで、一本の線が全く違って見えるので、気をつけています。何回も描き直さないように、一回で、すーっと勢い良くひけるか。一本の線の中に太さのばらつきがないように、一気に描くような筆の動きが大切です。描く時のスピードと、筆にのった絵の具の具合が、仕上がりに関係してきます。丁寧に描き込んだからといってよくなるわけではないし、ちょっと曲がっていたりしても、筆に勢いのある線は格好いいんです。

ー これまでの張り子のイメージにはない、新しい柄をとりいれた時に、豊琳さんとどんな話をしましたか?

お互いにデザインを考える上では、全く違うセンスがあるので、意見が交わらないんです。こっちか、こっちになる(笑)。父は民芸品をつくってきた人なので、「そんなことをやっていて大丈夫なのか?」と言われたこともありました。でも内緒で、影でつくっていたり。少しずつそれが、色々なコラボレーションの企画に繋がったりしてきました。依頼をされた方からは、こてこての民芸品をつくっているところではやれないだろうと思ったけど、うちの小法師を見た時に、ここではつくってもらえると、ピンときたというのを聞いたんですね。新しいものをつくっていて良かったなと、今は思っています。

ー 伝統的なものをつくっているという感覚はありますか?

伝統は伝統で、続いていかないと意味がないものだと思うんです。今、伝統と呼ばれていることも、どこかの時代に少しずつ形を変えて伝わっていて、伝わっていった先に伝統になったと思っていて。昔ながらの張り子玩具をつくっている方がいるので、それはそれで尊敬をしていますし、どこか新しくなった時には、そこがまた伝統になっていくといいなと思います。色んな人に愛されるようなものをつくれれば、元々のものも残るし、つくっている人の気持ちがぶれなければ、伝統なんじゃないかと思います。なので、ずっとつくり続けていくことに意味があると思います。

ー 福島県でものづくりを続けていることについて、どのような意識を持たれていますか?

これまでに県のことを特別に意識をすることはありませんでしたが、震災後に他の場所に行くと「震災の時どうだった?」とは必ず聞かれるんですね。それで福島県というのは、日本ならず世界の皆さんに、いい意味でも悪い意味でも注目されていて、そういう風に見ていらっしゃるんだと感じることはありました。福島県には今、色んな問題があって、震災があった時に福島県に住んでいたことに、何か意味があるのかなとは感じています。私たちはここで張り子をつくっていくということと、福島県はこういういいものがありますよと、そういう切り口からも福島県を見てもらえたらいいなと。福島県や東北の方にも元気になってもらえるようなグッズになればと思っています。

豊琳(ほうりん)

1936年生まれ。福島県在住。青年時代にたんすをつくる工場に勤務し、木の加工技術を学ぶ。1962年野沢民芸製作企業組合を設立し代表理事に就任。現在までに干支を始めとした数々の民芸品のデザインや木型製作を手掛ける。会津張り子による民芸品の製作技術を、次の世代へ継承するべく努めながら、現在も創作活動に励んでいる。

早川美奈子(はやかわみなこ)

1965年生まれ。福島県在住。1985年に野沢民芸製作企業組合に入組。父、豊琳に師事し会津の民芸品製作技術を学ぶ。2012年に起き上がり小法師に願いを込めた柄を施した“願い玉”を発表。2012年にNHK大河ドラマ「八重の桜」と赤べこ、2013年には「Munch tribute」と起き上がり小法師の、公式コラボレーション製品を製作。先代から続く技術を受け継ぎながら、新しい絵付けやデザインに力を入れている。
http://www.minako-hayakawa.com

野沢民芸品製作企業組合

住所: 福島県耶麻郡西会津町野沢上
原下乙2704-2
電話番号: 0241-45-3129
http://www.nozawa-mingei.com

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