東北STANDARD

カネイリミュージアムショップ

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青森県八戸市

東北スタンダード13 デコトラ

2017年2月11日、夜明け前。 ぼくたちは雪がちらつく仙台から、山形県の上山市(かみのやまし)を目指して車を走らせる。
夜が明け、その城下町に近づくにつれ雪は勢いを増し、目的地である「月岡ホテル」の駐車場に車を停めた時には、上山市は深い雪に包まれていた。
ぼくたちは膝下まで積もった雪の中を歩きながら、神様の使者たちが集まっている月岡ホテルの宴会場に向かう。

——「カセ鳥」 この町で約380年前に発祥し、失われ、そして再び復活した奇習。 その姿を一目見るために、ぼくたちはこの街を訪れたのだった。

奇習カセ鳥の発祥。

その聞きなれない名前は、「稼ぎ鳥」や「火勢鳥」が語源になったとされる。
発祥は寛永年間(*1624年から1645年の間。徳川家光の時代)とされ、元々は小正月(*1月14日の日没から1月15日の日没までの間)に行われていた。
大きな藁をまとった奇妙な存在が、歌い踊りながら町を練り歩く。カセ鳥は「神様の使者」とされ、人々の願いを聞き続けてきた。

約380年前ーーかつての日本では、小正月になるとあらゆるところに「神様の使者」が現れた。
その使者の多くは、藁をまとった人間で、街を練り歩き、家々の戸を叩き、家の人の願いを聞いてあげるのと引き換えに、祝儀や酒をもらうのだった。その風習は日本全国に点在し、あの有名な秋田県のなまはげもそのひとつとされる。小正月になると日本中のあらゆるところで、藁をまとった人々が一斉にうろつく様子を想像するとなんだか微笑ましい気持ちにもなるが、異形の姿をして家を訪れ見返りをもらうという行為はハロウィンとも通じる(昨今のハロウィンはあまり微笑ましい気持ちにならないけれども)。

いずれにしろこのような風習は”小正月の訪問者”として親しまれ、町民たちは遠い土地から来た神様の使者の声を聞くことで、その一年の豊穣を祝ったという。

約380年前のここ上山市では、小正月になると「ケンダイ」と呼ばれる蓑を身にまとい、頭に手ぬぐいを巻き、「カッカッカー」と奇声を発しながら練り歩く「カセ鳥」という神様の使者が現れるようになった。
上山城の城下町として商家が連なるこの町に、水戸納豆の妖精のような姿をした神様の使者たちが近隣の村々から集まり、「カッカッカー」あるいは「クックック」と叫びながら家々を訪ずれた。訪問された商家の人々は、使者たちにご祝儀を渡し、盛っ切り(グラスや升に並々と注がれたお酒)を供し、新しい手ぬぐいを彼らの頭に結びつけることで五穀豊穣や商売繁盛を祈願した。

訪れたカセ鳥のケンダイから藁を抜き女の子の髪に結いつけると、髪が黒く多く生えると言い伝えられるなど、町を訪れるカセ鳥たちは『町内カセ』と呼ばれ民衆に親しまれた。

一方、上山城に招かれたカセ鳥もいた。
小正月の前日、1月13日に上山城に昇殿の許可を得たカセ鳥2人と付人1人は、殿様の御前でカセ鳥を披露することを許された。これが『御前カセ』である。毎年1月13日になると、御殿では歌い踊るカセ鳥にヒシャクで水をかけ、一年の繁栄を願い、カセ鳥たちにお酒を振る舞い、青差し(銭の穴に紺染めの細い麻縄を通して銭を結び連ねたもの)を与えたと言われる。

実際のところはよくわからないが、雪深い冬の山形において、正月の祝いや小正月の催しは殿様にとっても町の人々にとっても大きな楽しみであったのではないだろうか。
外に出ることもままならない長い冬に、裸同然の人々が水をかけあい酒を飲み交わす。殿様の大盤振る舞い。再び静かな日常に戻っていく前の、束の間の狂騒。ハレとケ。

こうして約380年前の小正月に現れた藁をかぶった神様の使者たちは、「稼ぎ鳥」として上山市に伝わってきた。同時に、江戸時代に頻発する大火のことを「まるで火喰い鳥が街を燃やすために勢い良く舞い降りてきた」と称したこともあり、「火勢鳥」とも呼ばれるようになり、火伏せの神(神仏が霊力によって火災を防ぐこと)としての神格を持つようになる。
いつしか町民たちは、カセ鳥に水をかけることで、火の用心を願ったり、水商売の繁盛を願ったりするようになった。

小正月になると、町民たちは裸になってカセ鳥を出迎え、争うように手桶の水をカセ鳥にかける。
そのようにして、豪雪吹きすさぶ小正月の上山市に、奇習が誕生した。

加勢鳥保存会の現会長 大沢健一氏は語る。
「でも、明治の29年に一度廃止になったんですよ。そのあと、昭和34年に復活したんです。その時は当時の若い衆が復活させたと聞いてます。」
「いまでも続いている理由は、地元の人間だけじゃなくて、カセ鳥を広く全国から募集したというのが一番大きいような気がします。」